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はじめまして

本体サイト「山田亮のアンチマッチョ宣言
日記ブログ「アンチマッチョに主夫生活
を作ってきましたが、一つのまとまった「読み物サイト」として、この度、このブログを開設しました。「読み物サイト」といっても、文体や内容はこれまでと似たような感じになってます。ただ、違うのは、上から読んでいく構造になっています。つまり最新記事が、一番下になります。
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2008年のこの夏、少しずつ書き溜めていきますので、どうか気長にお付き合い下さい。


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はじまりはメール

1997年11月14日金曜日の夜、いつものようにメールチェックをしていると、ホームページ(以下、HP)のメール投稿フォームからのメールが来ていた。

当時の僕のHPは、大学院での終了時に提出する修士論文に向けた研究内容と、それに関連したリンクだけで構成されていた。そんな堅物なHPを見てメールを送ってくる人などほとんどなかったので、「あれ?珍しいなぁ」と思いながらそれを読んだ。

「オモシロい研究してますね」というHP内容への簡単な感想と、自分の所属と研究内容。それと僕の所属している大学のことや教員のことなどが書かれていた。これといってものすごく変わったメールではなく、かといって素っ気ないものでもなかった。ハンドルネームではなく実名で書かれていたり、プライベートなことも書かれていたりするメールだった。

このメールの送り主が、この数カ月後に一緒に生活を始める和子さんだった。夜だったので、すぐに返事を送ると、週明けの月曜日の昼に返事があり、そこから一日一往復のメールのやり取り。共通の先生の話や彼女の研究内容(生活習慣病予防ケア)の話や夏に彼女が留学したカナダの話など、少しずつメールが長くなり、一日一往復は二往復になったそんな11月20日の夜。届いたたメールの最後に、「秋のいい季節を迎えています。京都のまちを散歩しませんか?」というお誘いが。そのお誘い文は、和子さんが最近した婚約破棄の話の後という、なんとも豪快な文章展開だった。

それまでのやり取りもあってか、ススッと「散歩」の話はまとまり、11月30日に「京都の奥座敷」貴船神社へ散歩に行くことに。

後から和子さんに聞いたのは、「後にも先にも、知らない人のHP見てメール送ったのは、亮ちゃんだけ」ということだ。これには、いろんな事情が絡み合った偶然が重なっていたというのを知った。

彼女は、97年の初秋に婚約を破棄していた。結婚して新潟に「嫁入り」する予定だったので、京都での仕事を整理していた。研究に一区切りつけ、原稿依頼も請けてなかった。それが婚約破棄で、「また仕事せなアカンやん!」となり、その研究ネタを探しに僕のHPを見に来たのだった。

当の僕のHPは、その数日前に、Yahooのサイト登録申請が審査の結果認められ、晴れて登録されたばかりだった。当時は、今ほどHPの数も多くなく、「医療」「外国人」という漠然としたキーワードで検索しても、僕のような個人が作ったHPが上位に出た時代だ。

僕にも、この3年前に婚約破棄事件があった。僕も和子さんも破棄を申し出た方で、「こういうのって『された方』には同情が集まるけど、実際は『する方』がシンドイですよね」という話で盛り上がった。もう少し話をするうちに、実は、お互いが同じ理由で婚約破棄をしていたことがわかった。

僕は、婚約が決まるや、婚約者のそれまで「対等ね!」と言っていた態度が、急に「あなたに付いていきます」と豹変し、その付いてこられる重さに違和感をもち始めた。「僕が決断を誤る時もあるで。その時はついて来んといてや」と諭しても、「それでも、付いていきたい」と言い出す始末。これに端を発し、最終的には、いろんなギャップが見付かり深まり、僕が「やっぱり考え直そうや」と切り出した。

一方、和子さんは、「うちの息子はこんなに稼いでくるんだから、家庭に入るんでしょ」「あなたは年もいってるし、子どもができるかどうかって心配してるのに、いつまで仕事をするつもり?」と姑さんから言われたことに違和感をもちったのが始まりらしい。その後、「結婚前最後の自由時間」と旅立った留学先のカナダの女性達と交流するうちに、とうとう「嫁入り」というのが面倒くさくなって「や~めた!」になったらしい。

婚約破棄の話は、二人の関係のブレイクスルーになった。それ以外の話でも、たくさんの共通する価値感が垣間見えた。彼女の研究内容である、糖尿病患者の治療ストレスの緩和についても、いろいろ議論した。「結局、働き方や生活の仕方を変えんと、根本的には治れへんよね」という話になった。今でこそ「ワーク・ライフ・バランス」という言葉があるが、当時はあまり一般的ではなかった。僕は、サラリーマン経験があったので(たった一年間だけど)、そのことも大いに実感があった。とにかく、いろんなことが共通の話題になった。それでも、こんな話題が出ながら、まさかこの後、結婚して僕が主夫になるとは、当の本人達も考えてなかった。

「最初に言っとくけど…」

さて、11月30日。昼過ぎに出町柳駅で待ち合わせ。メールで、「私は身長168㎝、体重75㎏、足のサイズ26㎝。ワカメちゃんカットが目印です」と書かれていて、「ものすごく大きな人やん!」と思っていた。「この人かな?」と思った人は、確かに身長168㎝くらいだったけど、「体重75㎏は冗談やったんやな」とわかった。並んで立つと、身長差10㎝!あらかじめメールで「僕は背ぇ低いですよ」と伝えていたので、それほど変な感じでもなかったけど、傍目には見事な凸凹コンビの二人が叡山電車に乗って、いざ貴船へ。

「ところで…なんで貴船神社なん?」
「市内は紅葉もだいぶん散ってるけど、『奥座敷』やったら残ってるかなぁって思って」
「え?紅葉って山奥から始まって、先に散ってしまうやん?」
「えぇ?そうなん?桜は山奥が最後まで残ってるやん?」
「桜は南からで、紅葉は北から始まるやん!」
「あ、そっか!」
「っていうか、今まで知らんかったん?」

もしかして…この人って、大ボケさん?大学の研究者って、浮世離れしている印象の人もいるけど…貴船駅に着くまでに、すでにボケボケ振りをいかんなく発揮していた和子さん。

ネイティブ京都人でなく、京都観光にも詳しくなかった僕は、この時まで貴船神社を知らなかった。「貴船神社にでも」と誘われ、さっそく調べてみると、水の神様を祀っているほかに、「悪縁を絶ち、良縁を結ぶ」という御利益も書かれていた。「もしかすると、もしかして…『婚約破棄したばっかり』ってメールにあったし…」と勘繰っていた僕の憶測は、この「貴船には紅葉が残ってるかも」という和子さんの大ボケ振りで見事にひっくり返った。

貴船神社まで歩き、「ここまで来たついでに」と、鞍馬寺まで抜ける山道を回って一駅分歩いた。鞍馬駅で帰りの電車を待つ間、
「ちょっと小腹空きません?」
と僕が持参したタッパーに入れたビスケットを開けると、和子さんは
「こんなの用意してる男の人ってはじめてやわぁ!袋で持ってくる人はいてるやろうけど、タッパーに移して持ってくる人は珍しいわぁ」
と驚いていた。和子さんは、ずっと後のテレビ取材でもこの話をしていた。そのくらいインパクトあったんだろうな。

今思えば、なんでタッパーに移してたのか?しかもなぜに生協のABCビスケットを持参?と不可解な事ばかり。だけど、なにが誰にどんなインパクトを与えるかはまったくわからない。あとにも先にも、そんなモノを持って出掛けたのはこれっきり。コトが進む時には、まったくワケのわからんモノが絡み合うのだと、今さらながら実感。

出町柳駅まで帰ってきたんだけど、まだまだ喋り足らない。鴨川を渡った河原町今出川のミスド(ミスタードーナツ)でお茶して、それでも話したりず、「この時間ですし、飲みます?」と近くの「食べもん屋 かんから」へ。

今でも覚えてるけど、その店の2階のテーブル席。生ビールを乾杯して一口飲んだ後、僕は和子さんに、
「和子さんってモテるでしょ?」と尋ねた。
「ん~モテモテってことはないけど、彼氏がなくて寂しいって時期は今までないかなぁ」
「でも、今はいないんですよね」
「うん。いないね。珍しく」
「じゃあ、他の人とくっつかない間に言ってしまいます!僕と結婚前提で付き合って下さい」
「うん。エエよ」

え?

……
………
ええええええ?!?!?!

自分でも、なんで「結婚前提」って言ったのか?はたまた「うん。エエよ」という軽い返事にも「え?」だった。なんてったって、メールではやり取りしていたけど、会ったのはこの日がはじめてだ。「エエの?ホンマにエエの?」と思った。

その後、いろんな話をしながら、二人で「久保田」の「千寿」をものすごい勢いで飲んだ。かなり気持ちよくなって、できあがってきた頃、和子さんから

「今日は、亮ちゃんちに泊まっちゃおうかなぁ?」

と。
すでにこの時「亮ちゃん」と呼ばれていた。半日前にはお互いの顔も知らなかった二人は、えらく急接近していた。

「うん。いいよ。掃除してきたし」

最初からそのつもりがあったんかい!と突っ込まれそうだけど、「万が一を想定していなかった」と言えば大ウソだ。

ところで、この「泊まっちゃおうかな」発言の前に、和子さんは僕に、とっても重要な申し出をしていた。

「最初に言っとくけど…私、家事は大苦手やねん」

この申し出に、僕がどう答えたのか、残念ながら正確には覚えてない。たぶん、僕は「付き合って」というアプローチに「エエよ」と答えてくれただけで舞い上がってたんだと思う。でも、その後のコトを考えると、その和子さんの申し出に、僕はガックリ寂しそうにするわけでなく、「え~?ウソやろ?」と否定的な返事をしたわけでもなかったはず。たぶん、
「あ、そうなん?ほな僕が家事するわ」
と答えたんだと思う。

この時、僕はもうすぐ30歳の誕生日を迎える29歳。和子さんは35歳。お互いに、これまで紆余曲折があり、エエ格好するとか、見栄を張るとか、そういうのが面倒くさくなっていて、最初から「素」全開で接していた。会う前から、婚約破棄を吐露し合ったり。とにかく、「そのままの自分」で会って話して、それでわかりあえる人と巡り逢えたらラッキー!という感じだったんだと思う。だから、「家事が大苦手」というのも最初に言って、それでダメなら「短い付き合いでエエっか」だったんだと思う。



和子さんはその夜、僕のマンションに泊まった。
次の朝…

アンチマッチョの萌芽

はじめて対面した日の翌朝。僕は普段通りに朝食づくり。コーヒー、パン、ソーセージとキャベツの炒め物、スープ。いつも通りの朝食。ただ、どれもが二人分だった。

予定外だったのは、料理以外でも普段通りだったことだ。いつものようにBGMを流しながらの調理だったんだけど、あの時のBGMは、忘れもしないマイケル・ジャクソンの「Black or White」。朝、元気になれるこの曲をご存知の人は思い出して欲しい。

曲に入るまでの父と息子のやり取りが終わり、イントロが流れはじめる。
そしてギターのリフ
♪チャカチャカチャカチャ~チャ~♪チャカチャカチャンチャ~♪
そしてこの後。
僕はマイケルに合わせて、

!!ハァウ!!

と、思わずデカイ声でやってしまった。
ふと背中に視線を感じて振り返ると、和子さんがベッドから目を点にして見つめていた。
「いやその、この曲。ほら、マイケル・ジャクソンの…」
「!!ハァウ!!しか聞こえへんかった」
この瞬間のインパクトはものすごかったらしく、しばらく、「この人、大丈夫やと思うけど…ホンマに大丈夫なん?」と思っていたらしい。

さて、ご対面から一週間で僕の30歳の誕生日がきた。前の年、当時の彼女に「急に仕事が…」でドタキャンされ一人で過ごしたのと大違い。

そして、舞い上がったまま修士論文提出の12月19日を迎えた。修士論文は、提出日の約一ヶ月以上前に完成していて、本当に余裕をもって推敲を繰り返しながら提出した…はずだったが…19日の夜、僕の数年前に修士論文を提出して、その苦労を知る和子さんとイタリア料理屋で祝杯を挙げてマンションに到着。その夜、突然の発熱でダウン。余裕で仕上げていたはずの修士論文だったけど、本当はけっこうなプレッシャーになっていたのかも。

翌日も丸一日寝込んでいた。知り合って早々のダウン。最初から「そのまんまの自分」全開だったとはいえ、かなりみっともない姿もさらしてしまい、「そのまんまの自分」フルコースになってしまった。

この論文提出後に寝込んだことで、僕ははじめて和子さんの手料理を食べることになった。それは「お粥」。お粥を料理というのかどうかはともかく、あの時はお粥しか食べられなかったし、自分ではどうしようもなかった。だから、「オイシぃ~しみるぅ~ありがてぇ~」と言いながら、心から「こういう時、誰かがそばにいてくれるってホンマにエエなぁ」と思った。10年以上の一人暮らしを経て、シミジミそう思った。あの時は、その思いがピークに達していたような気がする。

よく、「病気をキッカケに結婚を意識した」という話を聞くけど、その気持ちはとってもよくわかる。自分がどうしようもない時に、自分のために何かしてくれる人の存在というのは、本当にありがたい。それと同時に、そんな状態の自分を受けとめてくれた人の存在もまた愛おしく感じるものだ。最近話題の「おひとりさま」も、「病気の時だけは…」「老後のことを考えると…」という不安を聞く。看病や介護してもらうのが、必ずしも結婚相手である必要はないけど、もしもの時に最優先で看病してくれる近しい人の存在は、日々の暮らしの安心にもなる。安心が増える分、より穏やかな暮らしを支える基礎にもなるはずだ。

普段、どんなに偉い人でも、格好いい人でも、人には情けない瞬間やみっともない瞬間が必ずある。そうした時、そんな自分を「こんなときもあるさ」と受け容れることができ、しかもそういった姿も「込み」で付き合ってくれる人がいるとしたら、きっと、無理した自分を演出する必要もなく、自分に素直でいられるだろう。だから、「自分はどうしたいのか?」という判断を誤ることも少なく生きていけるような気がする。

僕は「!!ハァウ!!」や寝込んでしまったりして、早々に和子さんにみっともないことをさらけ出してしまった。でも、結果的に、これはこれで良かったと思っている。いろんなことが合わさって、競争志向や強さの誇示という意味での「マッチョ」を志向せず、「アンチマッチョでいきたい」という方向に向かいはじめた時期でもあった。まだ「アンチマッチョ」という言葉を僕が使い始める前だったけど、「この感じ」をつかんだ時期だった。

生きていれば、見栄や虚勢を張って格好良く見せるのも、時には大事かもしれない。「僕は○○より優秀だ!」「私は一番☆☆が上手!」をアピールすることが必要な場面もあるかもしれない。でも、攻撃的な姿勢は、同時に相手の攻撃性も引き出してしまう。動物写真家の岩合光昭さんが、ある番組(「英語でしゃべらナイト」:NHK)の中で「(被写体の動物が岩合さんを)敵と思うかどうかはこちらの態度次第」と話していた。自分の態度は、話や文字だけでなく、表情や仕草などに、知らず知らず表れ相手にも伝わるものだ。「なんで、みんな僕と打ち解けてくれないんだろう?」には、打ち解けていない自分がいるはずだ。「僕の周りには信頼できる人がいない」のは、自分が誰も信頼していないからだろう。だから、「そのままの自分」と付き合って欲しければ、相手の「そのまま」も受け容れないと関係は成立しなくなる。「僕は楽にしたい。でも、君はいつもキレイでキチンと元気でいて欲しい」というのは、構造上成立しないはずだ。

恋の駆け引きでは、「全部さらけ出したら負け」というのが一般的だけど、それは恋の話。人生をともに歩むパートナーと一生駆け引きを続けるつもりなら、それはそれで素敵なことだけど、「リラックスできる関係」「安心できる関係」を求めるのであれば、やっぱり、「そのまんま同士の付き合い」に優るものはないと思う。理想的には恋の部分も残しつつ、(実際にはさらけ出さないけど)イザという時はさらせ出せるし、間違いなく受け容れてくれるという信頼感を維持することだろうけど、これはなかなか難しい。

僕は和子さんと出逢うまでにいろんな出逢いや別れを経験してきたけど、それはきっとこういう巡り合わせのためのお膳立てだったのかな?と思った。それは、和子さんにも言える事だ。だから、僕は和子さんの「元カレ」なんかにも、「こんな僕を受け入れてもらえるような和子さんに、よくぞここまで導いてきてくれはりました」と思っている。彼ら無くしては、僕との出逢いもなかったはずだから。出逢うのが、あと数年早くても、あと数年遅くても、今の僕はいなかったと思う。



なんだかんだと、トラブルまでも糧にしながら順調に関係を気付いていく二人は、年末年始を一緒に過ごし、いよいよ結婚へと踏み出すことになる(ものすごいスピードだけど)。
ところが、ここで僕に染みつき潜在していた古い自分が浮き出るのだった。

こっ、このブルーな感覚は?!

論文提出後に発熱で寝込み、クリスマスはいつの間にか通り過ぎていた。この時期は、二人でよくチリ産の安いワインを飲んだ。ウチで飲む時は、いつも僕が料理した。ワンルームマンションの電気コンロとカセットコンロを併用して、パスタや炒め物や煮物を作った。いつも自分で作って自分で食べるだけだったから、「『美味しい』って言って食べてくれる人がいるってエエなぁ」と思いながら、これまでになく料理を熱心に作るようになった。あの時、結婚後のライフスタイルが確立したと言っていいだろう。

僕は冬休みに入り一度、四国の両親宅に帰り、大晦日には京都に戻った。修士論文は提出したモノの、まだ口頭試問も残っていたし、その先には博士過程の受験も控えていた。とはいっても、年末はノンビリ過ごし、年始の挨拶に、和子さんと和子さんの上司宅へご挨拶に出掛けた。

当時、和子さんは短大で助手をしていた。上司は和子さんより少し年上の女性講師久美子さん。その方の夫は建築士で、自宅の一階が設計事務所になっていた。そこの夫婦は、時間の融通の利く夫が家事や料理をするという夫婦のスタイルだった。そういうライフスタイルの夫婦がいることは、本やテレビなどで見聞きしていたものの、実際に目の前で実践しているのを見たのは初めてだった。和子さんと「ウチらも、こういうスタイルになるんかなぁ?」と話をした。

夕方にお邪魔して、そこから延々夜中まで飲み続け話し込んでいるうちに、和子さんの婚約破棄や最近の経緯を知る久美子さんから「任ちゃ~ん(和子さんの姓)!いい!」と、僕たちの関係を応援してもらえる発言が飛び出した。「結婚しちゃいなよ!」と仰ったかどうだか、それとなくそういう話になっていたような気がする。

そしてその翌朝、1998年1月2日の朝。前日の勢いが残っていたのかなんなのか、突然、どっちからともなく「一緒に住もっか!結婚しよっか?!」という話になった。「結婚してダメなら別れてやり直せばいいやん」という程度にしか考えてなかったのかもしれない。

でも、この後、僕に思いがけないことが起こった。

「結婚しよう!」とお互いに決断し、ハッピー気分で初詣へと近所の長岡天満宮に向かっていたのに、その道すがら、和子さんの話では、僕の顔色はどんどん悪くなり、次第にションボリうつむき気味になり、足取りもどんどん重そうになっていたそうな。
横を歩く和子さんが「どしたん?」と尋ねる。
「ん?なんかよぉわからんのやけど…」
「しんどいん?」
「そういう感じじゃないけど…何なんやろ?」
そして、境内の東にある八条ケ池のほとりにあるベンチに腰掛けた僕がポソッと一言、

「はぁ~僕も所帯もちになるんか…」

(シーン)

「は?今なんと?」
「僕も所帯もちになるんやなぁって」
「誰が?しょたい?所帯もちって?

 アッハッハッハ~。

なになになに?それってもしかして
もしかしてマリッジブルー?
男の人でもなるんやぁ(笑)」
「へ?あ、そっか!これがマリッジブルーというモノかぁ!」
「所帯もちやなんて、ウチらには関係ないやん!」
「そぉゆ~たらそやなぁ。そうかそうか…そうやわ!なんか肩の荷がスーッと降りたわぁ」

僕は、婚約破棄した相手の「あなたに付いていきます」に象徴されるような、「男が一家を支える」という観念の呪縛に取り憑かれていたらしい。このマリッジブルーとそれを一笑に付した和子さんによって、はじめていろんなモノから自由になれた気がした。

僕は、自分の中の「男は外で仕事、女は家で家事子育て」という性別役割分担意識が、思っている以上に深く染み込んでいたことを自覚した。「性別によって役割を固定化してしまうのって問題」だと思っていたのに、この考え方が自分の中ではまだ根本的に切り替わってなかった。この日のブルーな気持ちと、その後のスカッとした晴れやかな気持ちの両方の両方共が僕の中にあり、そのどちらもで僕を形成していたことを知った。

「所帯もちになる」という言葉は、僕の中の「男は仕事、女は家事」という観念の最後の吐露になった。「自分の中には、こういう観念もまだ残っている。これを全部否定するのではなく、これも僕の一部分。あとは理性でバランスをとりながら自分を楽にしてあげよう」と思った。不思議と「主夫になる」ということに対するストレスは全くなかった。おそらく、「所帯をもつ」方の重さが大きくて、「主夫になる」ことの重大さには気付いていなかったのかもしれない。

ちなみに「一緒に住むなら結婚しないと!」と言ったのは和子さんが引っ張っていた観念。僕は「同棲でもいいかな?」と思っていた部分もあったけど、和子さんが「結婚しようよ!」と頑として譲らなかった経緯がある。僕には、「なにがなんでも事実婚で同棲!」というだけの説得材料をもっていなかったので、あっさり「じゃあ結婚しよう」となった。ともかく、お互いに、少しずつ固定的な考え方に引きずられる部分を残しながらも、結婚に向かってスタートを切った。

とにかく意識下の様子はわかった。次は行動だ。

その夜、久美子さんに「結婚することにしました」と連絡を入れたら、「決断早いねぇ」と驚かれた。「でも、どうせするなら早い方がいいわよ」と応援のメッセージがあった。こうなると話は早い!
プロフィール
主夫生活の傍ら、「スーパー主夫」「プロ主夫」として講演や執筆活動をしている山田亮のブログです

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