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メディアデビュー

ダラダラした主夫生活を過ごしていた僕。「このままじゃアカン」と思ったわけではないが、本当に魔が差したように「家事のページ」(実際は、「家事コーナー」程度のレベル)を作った。A4用紙2枚分くらいの、今の僕のサイトの家事関連ページに比べると、洗濯、掃除、料理それぞれに、二つずつくらいのネタを載せた、本当にコンパクトなページだった。

きっかけは、僕が「婿道具」に持って来た鉄製のフライパンを、和子さんが洗剤で洗ってしまったことだった。表面加工していないフライパンは、油のなじみが焦げ付き防止になる。このことを知らせてなかったので、他の調理器具と同じように洗剤で洗ってしまったらしい。まぁ、これは仕方ない事で、ちゃんと伝えなかった僕の責任でもある。そこで、せっかくだから、こういう家事共同していく時に、気付いた「家事ギャップ」や「家事アイデア」を残せたらいいかも?と思って、サイトに家事コーナーを作ってみた。

…というのが表向きだけど、本当のところは、自分でもよくわからない。なんであの時、サイトに「家事コーナー」を作ったのか、本当に「魔が差した」としか思えない。

その「家事コーナー」は、先に書いたように、洗濯、掃除、料理について載せていた。当時、家事系サイトはいくつかあり、個人が作って掲載しているサイトも少しずつ増えてきていた。ただ、男性が家事サイトを公開しているケースは少なかった。とくに、料理以外の、洗濯や掃除実践例を公開している男性は、僕の他、差し当たって見当たらなかったらしい。

珍しさを狙ったわけではなく、実際、僕の主夫生活は、できあいの総菜を買ったり、外食も多かったので、料理よりもむしろ洗濯と掃除の負担感が大きかった。だから、サイトに載せるにしても、洗濯と掃除は不可欠だった。「高床式家具」は、この当時からの実践例。

こんな、チョット変わったページ一枚の家事コーナーでも、見る人は見ている。1999年の暮れも押し迫った12月28日。HPのメール送信ページ(和子さんからのメールが来たのと同じページ)から、毎日新聞の記者の「取材依頼」メッセージが届いた。

数回のメールのやり取りの後、取材日程が決まり、年明けに記者の取材訪問をうけた。これが、家事する男性としての初めての取材だった。数日後の2000年1月19日の毎日新聞朝刊に「男の家事に学ぶ」の一例として、僕は顔写真入りで紹介されていた。もうちょっとにこやかな顔写真もあったはずなのに…と思って、「なかなかイカツイ顔で載ってましたね」と記者にメールを送ったところ、「ちょっとイカツイ感じの男性も家事しているという感じで、意図的に画像を選びました」という返事があった。これはこれで、後にはなかなか見られない顔で写っていて、今となっては貴重なモノになった。

この時、「高床式家具」も紹介された。実践例としては最初から存在していたにもかかわらず、実は命名したのはこの取材の時だった。考えてみれば、普段の生活で行っている家事技やテクニックに、いちいち命名が必要な事態は、普通ないから当然といえば当然だ。苦し紛れにつけた「高床式家具」の名前がそのまま載り、その後もそのまま使われている。

この記事には、僕以外に、男性の介護実践者の他に、もう一人家事実践者が紹介されていた。それが、後々あちこちで出会うことになる「男の家事」実践の先輩早瀬鑛一さんだった。早瀬さんとのご縁は、本当に不思議なもので、僕はこの記事が出る数日前に、早瀬さんが出版した『男の家事のすすめ』を購入し読み終わり、巻末にあった早瀬さんのサイトにアクセスし、直接読後の感想などを送ったばかりだった。その早瀬さんと、新聞記事で横に移っている早瀬さんとが一致してなくて、最初は「似たような人がいてはるんやなぁ」と思っていた。よくよく新聞記事を読むと、その本の作者その人であることがわかり、一気に親交が深まった。その後、何度か東京に出掛けた折りに食事をしたりした。今では、同じNPO法人日本洗濯ソムリエ協会の理事として、年に一回必ず総会でお会いしている。

マスコミとはおもしろいもので、一度どこかで登場すると、「出てもOKな人」として認識されるらしい。新聞に登場した約半年後の8月に、今度はテレビ出演の依頼が舞い込んできた。関西ローカルの毎日放送MBSの看板番組「ちちんぷいぷい」だ。関西人で知らない人は誰もいないという番組だ。この番組の出演依頼がやっぱり同じ、メール送信ページから来た。「テレビ?ピンと来ないけど、とりあえず話だけ聞いてみるか」と思い、我が家に訪問した担当ディレクターさんから話を聞くと、このディレクターさんが、僕の会社員時代に同じ営業所にいた上司の大学時代の先輩であることがわかり、それでスンナリと話が進んだという経緯がある。

この時のレポーターだった磯部公彦さんが取材を通して出会った最初のタレントさんだった。当時、「関西一出番の多いレポーター」と言われていて、素人相手のレポートにも慣れていた。喋りやすい雰囲気を作ってくれ、僕たちにもものすごく気配りしてくれて、その後の取材依頼への抵抗感の一切を払拭してくれた。最初が磯部さんで、僕は本当にラッキーだった。その後取材に来たレポーターの中には、友好的じゃない人もいて、そういう人が最初だったら、おそらくその後のテレビ出演も、かなり抵抗があったと思う。

その年は、同じ制作会社の深夜番組にも出て、大ブレイク寸前のオセロの二人、笑福亭笑瓶さんとゲストで新婚ホヤホヤだった山田邦子さんがウチにやってきた。華やかな世界とそれを支える制作会社の仕組みも少しずつわかってきた。

そんな2000年の年末12月1日の「その時」…
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プロフィール
主夫生活の傍ら、「スーパー主夫」「プロ主夫」として講演や執筆活動をしている山田亮のブログです

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