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奇跡の子

2000年12月1日金曜日。
この日の夜、「あれ?そういえばしばらく…」と和子さんが、なにげなく妊娠チェッカーをもってトイレに入った。しばら~くして出てきた和子さん。
「ちょっとちょっと線入ってるわ」
「線入ってるって?」
「こっちに線が出たら妊娠してるって」
「は?へ?ほ?オメデタですか?」
「ってことやね」
正直、あんまり実感湧かなかった。

というのも、結婚して3年間、妊娠の兆しも気配もなかったので、「念のため」と産婦人科で検査してみたところ、和子さんはほぼ異常なしだったのに対して、僕は精子の量も運動率も標準値の半分以下で、「このままでは子どもの可能性はほぼゼロ」と宣告されていた。

もともと多忙な和子さんが不妊治療するのは難しいと考えていたし、僕も薬やなんやかんやで人為的に妊娠出産したとして、もしもその子が重度障がいと共に暮らす状況だったら、「自然に任せなかった自分を責めるだろうな」と思い(今なら、それも受け容れられると思うけど)、不妊に対してなんにもしてなかった。

あちこちで「お子さんは?」と聞かれ、その度に、「実は僕の方が…」と言うと、たいていは「あら、そうだったの。ごめんなさいね」と言われた。「『ごめん』と言われても…」と思っていたんだけど、ある時、いつものように僕の精子の話すと、「そんなの(精子の不具合は)薬飲めば治るわよ」とサラッと言った人(医療関係者)がいた。確かにその通りなんだけど、僕はその時のザラッとした不快感は今も覚えている。理屈ではその通りだけど、なんだかその時の僕は、身体の具合がイマイチながらも、確かに今ここにいる自分の存在を否定されスルーされた感じに思えた。

障がいや疾病の「受容」という言葉は、僕も社会福祉系の教育関係者として、十分理解しているつもりだった。でも、この時、今の自分を受けとめられずスルーされる不快感を身をもって知ることになった。その後幾度か、病気や障がいやその他出自など、いろんなカミングアウトを受ける機会があったけど、そんな時は、「そのまんま受けとめる」ことを心がけている。「どうしたいん?」を自分から話すのを聞いてから、それを支持的に受けとめるようにしている。もしも、もっといい確実なことを僕が知ってるなら、「こういうのもあるよ」とアドバイスするようにしている。不快感の連鎖は断ち切りたい。

とにかく、「子どもはできそうにない」「無理して生み育てる気もない」ということで、僕と和子さんとは、子ども無しの人生設計を話したところだった。「このままの仕事だと、年に1回くらいは海外にちょっと長めの旅行ができるかな?」とノホホ~ンとしたことを言っていた。だから、12月1日金曜日の「妊娠してるかも?!」は、そんな人生設計を白紙に戻す一大事だった。

ところが、翌朝からもっとタイヘンなことが待っていた。朝から和子さんがトイレから出てこない。「気持ち悪ぅ~」と言って朝からご飯もおやつも一切食べない。
「それってツワリ?」
「たぶん、そうやと思うわ」
この日12月2日は土曜日だった。一日中、気分悪そうな和子さんと過ごしながら、「まてよぉ~このまま出産まで毎日こんな感じかぁ?」と思って、「ツワリでも食べられるモノ」はないか?と、あれこれ調べたり、子どものいる友達に電話しまくった。こんな時、男どもは全然役に立たず。「ちょっと待ってな、嫁さんに変わるわ」という感じだ。

女性陣に話を聞くと、これがまた…まずは、「いんやぁ~おめでとうさぁん!」から始まった「久しぶりヤ~ン元気ぃ?」と一通り近況報告があって、「え~っとなんの話しやったっけ?」でやっと本題に。ツワリって、本当に人それぞれなんだと知った。「全然無かった」って言う人から「中毒症で早期出産した」というひとまで。食べられた物も人それぞれ。「酸っぱいもの」が定番だと思ってたら、これも怪しい。「ヨーグルトばっかり食べてた」「ご飯はダメだったけど、ケーキはOKだった(ホンマかよ!)」とか、「野菜は大丈夫だったけど、肉は見ただけでダメだった」などなど。

「困ったなぁ~」と思いながら、「とりあえず」というこんな時、香川県出身者は「うどん」にしてしまう(実証データ無し)。うどんは、なんとか食べてくれたような記憶がある。「だけど…この先、うどんだけじゃなぁ~どうしたもんか…」と、この日は、夜遅くまで調べ物しまくった。

その翌日、日曜日というコトもあってお昼前までゴロゴロし、お昼ご飯に麻婆豆腐を食べた。なにをしたか忘れたけど、夜は湯豆腐と鰻ときゅうりの酢の物を食べた。晩ご飯を食べ終わって、
「チョイ待ち。そういや昨日、ツワリって言ってなかったっけ?」
「あれ?そういうたら…」
気が付けば、普通に普通のご飯をペロッと食べていた和子さんであった。
「ちょっとぉ~どういうことやの?」
「ん~妊娠がどこかへいったか?」
「そんなわけないやろぉ~、あれってもしかして、

想像ツワリ?

結局、加奈子が生まれてくる2001年8月12日まで、二度とない「ツワリっぽい」体験でした。それどころか、強靱な妊婦と胎児は、この時の職場である名古屋大学と京都の自宅を毎日新幹線通勤し、残業も普通にこなし、「ごめん、仕事が片付かんから、今日は名古屋に泊まるわ」という、とうてい「安静」からはほど遠い生活をしていたのでした。
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プロフィール
主夫生活の傍ら、「スーパー主夫」「プロ主夫」として講演や執筆活動をしている山田亮のブログです

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