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加奈子誕生

2001年8月12日は、うっすら雲のかかる蒸し蒸しと暑い「これぞ京都の夏」という日だった。午後13時過ぎ、僕は手を洗ってウェルパスして、オペ室の前で待機していた。

「じゃ、はじめま~す」

という院長の声。

しばらく麻酔の効き具合を確認しているような声がした後は、カチャカチャというメス等の器具が動く音だけ。そして、

「ウワッ!デッカ~~ッ!」

という院長の声。
そして、
「アワワ」
その次に、
「オンギャァ~~~~」
という赤ちゃんの泣き声。

「はい!お父さ~ん、どうぞ!」
時計を見ると13時10分。

手術室に入った僕の目に飛び込んできたのは、切腹状態の和子さん。切開部をまじまじと覗き込む。僕の頭の中で「こんな珍しいモン、なかなか見られへんで」という思考回路が働いたらしい(自分では、血やお腹の中なんて見たらクラクラッと来るだろうなと思っていたから、意外と平気だったのに驚いた。クラクラよりも好奇心が勝った)。
「この白いのは脂肪ですか?」
と院長に尋ねる僕。
「そやで。というか、ほら!赤ちゃん!」
「おおお!そうそう!」
(「そうそう」じゃないやろ…(^^;)

僕は、生まれたての赤ちゃんを見たのは初めてだった。だから、見た目で生まれてきた加奈子が大きいのか小さいのかはわからなかった。でも、映像や画像でみる赤ちゃんのように、赤くなく、シワシワじゃないのはわかった。肌は肌色をしていて、おまけにパッツンパッツン。髪の毛はフサフサ。爪まで生えていた。なにしろ、和子さんのお腹の中で半月以上も長居していたわけだから、普通に生まれてくる子よりも、最初から数週間分成長していた。

誕生時体重は、4010グラム!!

(一般的には2500~3000グラム程度?)
Dscf0043s.jpgよっぽど、和子さんのお腹が居心地良かったらしい。気になる胎盤は、「「まだまだキレイやなぁ。もうちょっとお腹の中にいても大丈夫やったかもね」という院長。これ以上、長居していたらもっと大きな赤ちゃんになっていたかもしれない。

あまりにも大きく重たかったせいで、赤ちゃんを羊水から引き上げる器具から一度外れて落ちてしまったらしい。「あわわ」というのは、その時の声だったらしい。羊水からあがり、もう一度ポチャッと戻った加奈子。そんなに和子さんのお腹の居心地はよかったのか。

生まれたての加奈子で掌握反射やバビンスキー反射を試していると、院長が「そんだけ楽しんでるお父さんも珍しいなぁ」と言った。さすがに、モロ反射を試す勇気はなかった。抱っこした加奈子はズッシリ重たく、頭の支えをチョット外すというのはできなかった。

問題。
生まれたての赤ちゃんは、温かいでしょうか?それとも冷たいでしょうか?

答えは、ヒンヤリ。

ヒンヤリした加奈子を抱っこして、「加奈ちゃん、コッチの世界にいらっしゃい。よく来たね」と声をかけ、僕はジーンと温かい気持ちになっていた。なんだか、ヒンヤリの加奈子を僕が温めているような気持ちになった。

さてさて、ジーンと感動に浸るのはここまで。その後、途端に始まるいろんな説明と解説。オムツの交換が一番最初だったかな?なにしろ、和子さんは術後の寝たきり要介護状態。だから、子どもの世話は、「その瞬間」から僕の役割になる。最初のハードルは、はじめてのオムツ交換。

僕に、「ウンチの臭いに耐えられないから、男の人に子育ては無理」と言った人がいた。これはまったくのウソだった。生まれたての赤ちゃんのウンチは、ほんの少し。臭いもごくわずか。なんだかヨーグルトのような少~し酸っぱい感じくらいの臭いだった。生まれたばかりの加奈子が可愛くて可愛くて、臭いというか香りに思えた。この後、離乳食を食べ始めると、量も臭いも一人前になった。ここからオムツ交換を始めると、確かにキツイだろう。でも、生まれたての頃からはじめると、男性でも全然問題ないはず。よく聞くあれだ。「最初が肝心」。

夫不在出産や周囲が手を出しすぎると、この最初の段階で夫がオムツ交換をする機会を逸することになる。最初から関われば、な~んてコトはない。オムツ交換なんてたいしたことじゃない。病院のオムツ交換は、ものすごく機能的でシステマチック。無駄な作業が全然ない。「これ、どっちに入れるんやったっけ?」などが起こる、退院後のオムツ交換に比べたら、半分くらいの手間感覚だ。「お父さんのオムツ自立」はこの機会が一番修得しやすいと思った。

男性は出産ができない。法律上は出生届を出せば父親になるが、実態として父親になるには時間とプロセスが必要になる。立ち会い出産は一つのきっかけになると思うし、オムツ交換はまさに親役割を果たす作業の一つになる。ミルクを飲ませたり、沐浴をさせたり、泣く子をあやしたりしながら、少しずつ子どもと一緒に親になっていく。つまり

「子育ては、親育ちの機会」だった。
子育ては、「お父さんの○○自立」を一つずつ増やしていく作業だった。

要介護状態の和子さんと、僕と加奈子の三人の生活が始まった。
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プロフィール
主夫生活の傍ら、「スーパー主夫」「プロ主夫」として講演や執筆活動をしている山田亮のブログです

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