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親バカ全開

子どもが生まれる前、和子さんには一つの不安があったそうだ。それは、僕が子どもとうまくやっていけるかどうか?というか、それ以前に、子どもを可愛がれるだろうか?受け容れられるだろうか?というコトだ。

実は、僕は27歳になるまで、

子どもが大苦手

だった。「子どもが可愛い」「子どもと遊ぶのが楽しい」という人、とくにそう言う男性の気持ちがよくわからなかった。「小学校の先生なんて絶対に無理」だと思っていた。電車などで、子どもが乗ってくると、「オイオイ頼むから、大人しくしといてやぁ」と思っていた。人の気になることをズバズバ遠慮なく言うし、加減をしらないし、常識やルールも通用しないし、子どもは厄介な存在だと思っていた。

ところが、27歳の冬、社会福祉士の資格取得のために、実習先として選んだのが児童養護施設だった。選んだ理由は、「とにかく遠いとシンドイ」とOBから聞いていたので、当時住んでいた場所から一番近い施設を選んだちう単純なものだ。飛び込みで、「実習させて欲しい」と頼んだんだものの、気持ちは「子どもの施設やろ?大丈夫か?オレ」だった。4週間の実習期間中、朝から晩まで保育園児(年少組)から中学3年生までの子どもたち13人と一緒に過ごしてわかった。自分と合う子もいるし合わない子もいる。とっても小さいのに分別のある子もいれば、いつまで経っても幼い子もいる。分別があるけど僕と合わない子もいたし、ヤンチャだけど気の合う子もいた。子どもの多様性がわかると、ちょっと苦手意識も薄らいだ。子どもが騒ぐ、ウルサイ、ルールを守らないというのは、子どもの責任ではなく、彼らをとりまく大人や環境の責任であることにも気付けた。ちょっと成長した。

なんのことはない、僕の子ども嫌いは、単に周囲に子どもがいなくて、慣れてなかったのが原因だった。ただ、学生から社会人になる間、子どもと接する機会がほとんどないのは、多くの人も同じだ。同じ条件でありながら、僕だけ子どもが苦手ということは、やっぱり本当に苦手だったのかもしれない。

子ども嫌いは慣れで解消したとはいっても、結婚した後、義姉の子ども達の遊び相手をしたりする時も、実はそんなに上手くできる方ではなかった。どこまでやり過ごしたり聞き流していいのか、向き合っていいのか、その間合いがとれず苦労した。子ども好きの人なら、こんなことに困ったりはしないと思う。でも、僕には、苦手意識とともに、自分がまだ充分に大人になれていないのも自覚していた。

そんな僕をみていたから、和子さんは不安を抱えていたんだと思う。

ところが、実際、加奈子が生まれてみると、そんな不安はどこへやら。オムツ交換もミルク飲ませも沐浴も問題なく、仮に「フンギャァ~~!」と泣かれても、「はいは~い、どしたんやぁ?お腹へったんかぁ?眠たいンかぁ?」とノリノリ。「んもぉ~かわいぃてかわいぃてしゃ~ない」と公言しまくる。「加奈子の歌」などという歌なんぞを歌いながら、加奈子を抱っこしてあちこち散歩に出掛けて見せびらかしに歩きまくる。まさに

親バカ全開

そんな僕の姿をみて、とりあえずは安心した和子さんだった。

僕のオメデタイ生態は、夜泣きにもいかんなく発揮した。和子さんが、妊娠中に足をよくつり、その度に僕が起きて足を伸ばす手助けをしていたという話は以前書いたが、加奈子の夜泣きでは全然「起きるスイッチ」が入らず、

「え?夜泣き?してたん?」

というボケぶりだった。十分寝ているから、僕は元気に昼間の加奈子の相手ができる。親に余裕があれば、子どもを扱うのはずいぶん楽だ。いろんなコトが絡み合って、僕は加奈子ラブな状態で子育てのスタートダッシュを決めることができた。

この夜泣きは、生まれて二日後から始まった。巨大児の加奈子には、他の普通サイズの赤ちゃん以上に水分が必要だった。ところが、初産で生まれてすぐには、なかなかオッパイが出ない。夜、加奈子は脱水状態に近くなり発熱していた。それで、爆音ともいえるくらいの泣き声でそれを知らせていた。さすがに、この時は僕も起きた。和子さんにいたっては何度も起こされていたのか、「はいはい×4、んもぉ~どしたん?」とさすがにイラッときていた。泣き声を聞いて担当医が来て、検査をした結果、脱水状態とわかり、乳児版ポカリスエットのようなものを飲ませると、スッと落ち着きコテンを寝てくれた。階下の宿直室にも聞こえるくらいの泣き声だったらしい。

和子さんのオッパイは、産後数ヶ月間、出が悪かったけど、その後、普通に出るようになり、職場復帰後は、「昼間は止まり、夜は出る」というとっても便利なオッパイになった。夜泣きした時は、オッパイに頼りきった。「添え乳」というポジションを編み出し、泣けばオッパイという対応公式が生まれた。そのお陰で、「加奈子の夜泣きは、和子さんがなんとかする」という暗黙の図式がうまれてしまい、和子さんの負担はかなり増えたんじゃないかと思う。夜中に泣く子を抱えてあやしながら散歩したという話を聞くが、そういう経験はほとんどしていない。というか、和子さんは経験していたかもしれないが、僕は起きずに寝続けていただけかもしれない。この時のことは、今でもたまに和さんから「全然、起きてくれへんかったなぁ」と恨み節を聞かされる。

夜泣きは、この先、3歳が過ぎ4歳になる頃まで続いた(と思う。寝ていたもので…)。その間、和子さんは夜泣きの加奈子をあやしながら、大学院の博士論文を仕上げたのだ。母は強し!である。

夜泣きだけではなく、昼寝の時も、寝る前に「ねむたいぃ」と大泣きし、起きた時のも大泣きする加奈子だった。あまりにも泣き声が激しくデカイので

「夜泣きング」

と名付けた。

当時、僕たちは四戸一の長屋(今風に言うとテラスハウス?)で暮らしていた。壁一枚の向こうはお隣さん。でも、かなり大きな泣き声だったにも関わらず、一度も「うるさいぞ!」「静かにさせろ!」と言われなかった。お隣さんには、本当に恵まれた。もしも、これが「静かにして!」という人だったら、僕の子育てストレスは、最初からかなり鬱積していたと思う。あの長屋には、加奈子が4歳半になるまで住んでいた。長屋独特の濃い~い文化もあったけど、とにかくお隣さんには本当に恵まれたと思う。感謝感謝。

さて、夜泣きには困ったものの(ホンマか?)、それ以外では、イイ感じに進んでいく子育て。そんなある日、またも毎日新聞社生活家庭部からメールが届いた。
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プロフィール
主夫生活の傍ら、「スーパー主夫」「プロ主夫」として講演や執筆活動をしている山田亮のブログです

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