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義父母関係

主夫ブルーに行く前に、もう一つの問題について。

結婚して以降、僕達は和子さんの両親宅から徒歩1分の家で暮らしていた。結婚当初は、我が家に風呂がなかったので、義父母宅に風呂通いをしていた。ご飯もよく義父母宅で食べていた。

和子さんの父親は、超マイペースな人で、散歩と読書とテレビ画面で観る映画が大好き。「亮ちゃんからもらったソニーの画面がキレイでエエわぁ」というのを事ある毎に話す人。そのテレビというのは、僕が一人暮らしをはじめた時に買った、ソニーのトリニトロンテレビ。確かに、キレイな画像が映し出せるけど、なんせ11年前のテレビ。僕にしてみれば、「え?こんな古いもん、もらってくれはるんですか?」という感じだった。義父は、基本的にオーディオビジュアル関係以外のことは、あんまり深く追求しない人なので(話の前後関係なく、突如、自分の話題に入る以外は)楽チンだった。

困ったのは義母。こちらもかなりマイペースな人で、主義主張もマイペース。政治文化的には清濁併せのむというと良い言い方だけど、要はアナーキー。合理主義かと思えば浪花節が飛び出したりする。己の勘でビビビッとくるモノを信じ、ガッと行動できる人。こんにち、和子さん両親宅が安泰なのは、この義母のお陰であると言っても過言ではない。

が、このマイペースは自分に沿えば楽チンなんだけど、反対の立場になると、こんなに厄介なことはない。こんな前提がありながら、子どもが生まれるまでは、とくに「ん?」と思うこともなく過ごしていた。

貴重な「ん?」と言えば、和子さん両親の食べる量の基準。晩ご飯を食べにいくと、「まだおかずあるで」「亮ちゃんは少食やなぁ」「おかわりしよか?」「ビールもう一本どうや?」と「もっと食え」「もっと飲め」の連呼なのである。「君んちの食べる量の基準はどうなってんの?」と和子さんに聞いたことも。「食糧難時代を過ごしてる人達やからなぁ(笑)」「そういや、高校時代のバンドのドラマーの母ちゃんも『山田君まだあるで?』『おかわりは?』と連呼する人やったわ」などなど、笑い話のネタ程度の「ん?」だった。

ところが、子どもが生まれると事態は一転する。とくに義母の豹変振りには、「えっ?!」を連発だった。♪なんでこんなに かわいいのかよ~孫という名の、宝もの~♪と大泉逸郎の「孫」でも歌い始めそうなくらい、

義母が「加奈子命」になってしまった。

あまりの可愛がり振りに、僕は思わずエビのようにシュシュシュッと引いてしまった。引いてしまうと同時に、ちょっと妙な感覚になった。なにしろウチと和子さんのご両親宅とは、あるいて1分程度の距離。いろいろとご飯のおかずを作って持ってきてくれたり、便宜を図ってくれたりと有り難い。しかし、とにかく加奈子一直線。それもそれで良いのだが、なんというか「僕の存在の意識」が薄くなっているというかなんというか、なかなか文章で表現しにくいが、とにかくこれまでとは違う感じ(疎外感?)を受けた。

和子さんに、「いちおう、僕は他人なんだし、ああ明け透けに加奈子命というのも、なんかなぁ~?なんかこぉ、僕は孫を産むためだけの"種馬"のような存在になってるンかなぁ?」と聞いたところ、「そ~やな~、確かにそう思うかもなぁ。でもまぁ、アレでも気ぃ遣ぉてると思うんやけど。例えば…」ということだった。

なんとなく、スッキリしなかった気持ちを和子さんに話せたのと、「そうやなぁ」と受け止めてくれたことで、僕の気持ちはスッキリした。よくよく考えると、これは「嫁姑戦争」の構図とよく似ているのかもしれない。嫁姑戦争というのは、同性だから起こるのかと思っていたが、どうやらそうではなく「どこまでが気を遣う範囲か?」というラインが不確定な限り、どこでも誰とでも起こりうる衝突なのかもしれない。実は子どもが生まれるまでの間に、理解していたようで全くわかっていなかった、僕と義父母の距離感が、露呈したに過ぎないのだろう。

和子さんが職場復帰した最初の日は今でも克明に覚えている。表を通った義父が家に帰って「加奈子が泣いてる!」と義母に伝え「そら赤ちゃんやし泣くわな」と答えるも「あかん、亮ちゃん困ってるで!お前が迎えにいけ」となり、義父母が揃って「泣き声が聞こえて、可哀想になって預かりに」とやってきた。確かに、その日の加奈子は、突然和子さんがいなくなり、泣き続けていて家事どころじゃなかった。

有り難いような、迷惑(なんて言ったらいいのかよくわからんが…)なような困惑した気分だった。確かに、どのみち預かってもらうことになっていたのだから、時間が早いか遅いか、こっちから預けに行くのか預かりに来てもらうのか、という程度の差かもしれない。それに、朝ご飯の片付けや洗濯など、全然取りかかれずにいたところだったので、助け船という意味では有り難い。しかし、僕は僕で「ちょっと頑張ってみよう」と思っていたのだ。それを「貸してみ!私らがみる!」というように連れ去られた感じもした。

僕は、加奈子がいることで、自分のことができなくて困っているのではなかった。加奈子がいることで、いろんなコトがこれまで通りに進まなくなったのは確かだけど、それはそれで「そういう時期」だと割り切っているつもりだ。そのつもりで子育てしようと思っていた。

いざというときにはお世話になるだろうし、これまでもいろいろと便宜を図ってくれていたので、義父母にはそれは感謝していた。だけど、「先回りされる気配り」には、やっぱり困惑した。面と向かっては言われないが、「やっぱり男には子育ては無理」とか「経験も時間にゆとりのある私たちの方が子育ては上手!」と言われているような気になった。

預かって欲しい時には、僕から「お願いします」と行くし、「絶対に他人のお世話にはならないぞ!」というつもりではないし、仮にストレスが溜まって危ない状態になっても、そのことに気付けると思っていた。

子どもが産まれるまでは、僕と彼女の両親との距離はある程度の距離を保っていた。でも、子ども(孫)が産まれてからは、一方的に距離を詰められてしまった感じがした。孫を可愛がるのはよく分かる。しかし、やっぱり他人は他人なのだ。でもこれは、もしも、僕の実家が近かったら、逆のことが起きていただろう。

どこも義父母との距離感は難しいらしい。間違いなく言えることは、彼らがいなければ、もっと子育てはしんどかった。客観的にみれば、ものすごくお世話になっている。にも関わらず、なぜあんなに違和感を感じたのだろうか?今でこそ、家も離れたし、たまの夜のおでかけの際に「頼みまぁ~す」と気軽にお願いしているが、一時期はゴタゴタした感覚をもったままだった。

しかし、こんな義父母との関係なんて、どうでもよくなるような事態が起こった。導火線には、この時くらいから火が点いてしまっていたのかもしれない。
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プロフィール
主夫生活の傍ら、「スーパー主夫」「プロ主夫」として講演や執筆活動をしている山田亮のブログです

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