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育児ブルー 1

それはある日突然やって来たわけではない。ジワリジワリと僕の中に芽生えてきて、気が付くとかなり深刻な状況になっていた。

ボーッとしている時間が増えていた気がする。
昼ご飯は日に日に簡単になっていったような気がする。
加奈子が泣いていてもボンヤリしていた時があった。

疲れてるのか?と思っていた。

そんなある日、「ヘンや…」と思う出来事があった。加奈子を連れて近所を散歩していると、

なぜか涙がボロボロ流れ落ちてきた。

感動的な風景を見たり、運命の再会をしたわけではなく、なんにもないのに突然涙が出てきた。僕は、かつてストーカー被害に遭い過酷な生活を強いられた時期があり、それ以降、泣くという行為が欠けていた。感動して涙を流すことも、哀しくて泣くことも僕はしばらく失っていた。

その僕が涙を流す。これは明らかに「ヘン」なことだが、その数日後、今度はキッチンで食事の支度をしている時に、やっぱり突然涙が出てきた。タマネギを刻んでいたわけではないのに、突然、ポロポロと涙が出てきた後、ガックンと腰が抜けて立てなくなった。「そんなアホな」と自分でも思いながら、これが、どういう事態なのかよくわかってなかった。この涙ボロボロと腰ガックンは、東大教授の瀬地山角さんがまったく同じ経験をしていたことを後日知って、とても驚いた。

今、振り返ってみると、この異常な精神状態になった伏線はあちこちにあった。
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育児ブルー 2

当時、和子さんは、勤務先の大学で大学院設立委員会のメンバーになっていて、猛烈に忙しい日々を送っていた。それと同時に、人事上でのトラブルが重なり、心身共に疲労困憊していた。今でもそうだが、当時は今とは比べものにならないくらいの職場の愚痴を、和子さんから聞いた。僕にとって、ある程度理解できる大学という業界の内情を知ることは、たとえ愚痴であっても(逆に、愚痴だからこそ)僕がまだ研究の世界とつながっている気にさせてくれた。だから案外楽しんで愚痴を聞いていた。

ただ、僕は、和子さんが職場でいろいろ抱えている間に、家で起こったいろんなことを言えずにいた。仕事の場で起こっていることに比べると、家で起こっている不満など、当たり前すぎるほど当たり前なちっぽけなことだったからだ。ましてや、心身ともに疲労している人に、話を聞かせるのは酷だと、自分で勝手に思い、いろいろ仕舞い込んでいた。

その仕舞い込んでいた中身がまた問題だった。話す機会が限られる時、人はいったいなにから伝えようとするか?おそらく、緊急性の高い内容から伝えるようになるだろう。どうしても、「○日はどうしても出掛けるから、その間の加奈子の世話をお願い」という話や、「加奈子の具合が悪くて、鼻水が青い」という業務連絡が多くなっていく。しかも、あまりイイ話ではない。イイ話は急ぐ必要ない。

子育て中は、シンドイことも多いが、楽しいことも多い。なんといっても、目の前には成長していく子どもがいる。「○○できた!」「☆☆って喋った!」と楽しい話題も多い。だけど、それを口に出して伝える相手がいないと、楽しさは半減してしまう。「今日、はじめて自分でスプーン持ってご飯食べた!」という事実は、「スゴイやん!」「よかったなぁ!」と喜び合えて、はじめて楽しさが完結する(少なくとも僕の場合はそうだ)。楽しさが個人のモノから家族や周囲のモノになる。楽しい話題をそのまま仕舞い込み、どちらかというとあまり良くない内容の話や急な用事を優先するようになり、だんだん湿気った話ばっかりになっていた。

もう一つ、その話の仕舞い込み方も問題だった。いくら多忙が続くとはいっても、少しくらいは僕が和子さんに話をする時間もあった。「ここぞ」とばかりに溜まった話をしようとする僕。ところが、ここに邪魔が入る。僕と和子さんが話をしようとする時に限って、加奈子が泣きだしたり、「なぁなぁ」と呼びかけたりした。その度に、話は途中で終わってしまい、その後「なんの話しやったっけ?」「あ~もうエエわ、たいした話じゃなかったし…」となっていた。加奈子は加奈子で、せっかく帰ってきた母を父にとられまいとして、一生懸命「こっち向いてよ!」と泣いていたのかもしれない。

おまけに、僕たちの住んでいた地域は、京都市の中でも保育園が不足している地域で、社会福祉事務所で聞いたところ、通園競争率は7倍近いという話だった。加奈子がゼロ歳から1歳になる年は、入れる保育園がなかった。

いわゆる待機児童だった。

その年は、家から自転車で13分位の保育園に一時預かりしてもらっていた。ところが、年度末になると待機児童が増え、一時預かり希望者も増える。預かってもらえるかどうかは抽選の結果次第で、月に3日だけということもあった。子どもと一緒にいると、仕事はもとより、家事も全然はかどらなかった。いろんな事情が重なっていた。

育児ブルー 3

「スーパー主夫」の僕にとって、子育てが予想外にシンドいと感じたこと。それは、加奈子が生まれる前は、あれだけ緩急自在にコントロールできていた家事が、子どもが成長すると共に、制御不能になってきたことだ。

子どもが生まれたばかりの頃もタイヘンだったが、それでも寝てるか泣いてるかだけだった。泣いている理由は、「お腹が減った」「オムツを替えて欲しい」「眠たい」のどれかだった。ところが、一言二言話せるようになる頃、要求も一段成長してくる。「アレが欲しい!」「これじゃないの!」「アレ見て!アレ!ちゃんと見てる?」と、シッカリ話せないけどシッカリ主張はする。「なに?なんなん?なにが欲しいん?」と聞いても、ちゃんと答えてくれるわけがない。一所懸命「あ!あ!あれ!」という片言から意味を聞き取る努力は、英会話を聞き取るよりシンドイ。イライラした。

そんな、「子どもがいれば当たり前」なことにイライラする自分が嫌で、さらにイライラした。なまじ社会福祉専攻で児童虐待の実態などを知ってしまっているだけに、自分がイライラしているコト自体への嫌悪感も大きかった。泣いている加奈子を放ったらかそうとしている自分に「これはネグレクトと違うんか?」と警告を発する。「親バカ全開」だったのに…「可愛ぃて可愛ぃてしゃーない」加奈子なのに…起きている間は、ギャングな加奈子も、寝ると天使の寝顔。そんな寝顔に「また、怒ってしもた…ゴメンな」という日が続いた。このドッと吹き出す怒りの情動と、その後の反省の繰り返し。これはまさに虐待する親と同じパターンだ。児童虐待は、なにか特別な事情の親に起こることではなく、ごく普通の親子に起こることだと実感した。

ハイハイをし始めたり伝って歩くようになると、心配でトイレもゆっくりできなくなった。ドアはいつも開けっ放しだった。加奈子がそこにいるというだけで緊張感が続いていた。僕は、夜中に寝ている時間は、前述したように、加奈子の夜泣きでも起きられなかったから、まだ生理的欲求がある程度満たされていた。和子さんにいたっては、激務のうえに夜泣きの度に起きて「添え乳」をしていた。夫婦そろって疲れきっていた。

今思えば、加奈子はこんな時期でも扱いやすい子だった。引き出しから物を全部出して散らかす子や、なんでも口に入れる子もいる。病気がちな子もいるし、アレルギーがある子もいる。そんな子と比べると、大人しいし丈夫な子だったから、「そんなん子どもやし、しんどくて当たり前」といわれるのは正しい。だけど、比べる子どもが他にいなくて、ぬいぐるみで散らかった部屋や朝食の食器がそのままのシンクをみると、なんだかわけもわからずイライラした。ただただ、

イライラする自分にイライラしていた

のかもしれない。

僕はだんだん、イライラする自分の感情を押し殺すようになっていた。振り返ってみれば、あの頃、僕は笑ってなかったかもしれない。昼ご飯だけでなく、晩ご飯も同じようなメニューが続いたりした。新しいメニューにチャレンジしたりするどころか、もはや作る気力もなくなっていた。子どもの遊び相手にもなれず、テレビをつけ放しにしていた。NHK教育の「おかあさんといっしょ」を録画し何度も何度も見せていた。いつも変わらない、つのだりょうこお姉さんの笑顔に、僕は吸い込まれそうだった。

そんなある日起こったのが涙ポロポロだった。

ただ、僕は子育て生活が、子ども無し生活の延長線上でいけるとは、もとから思ってなかった。睡眠不足も、日常生活も仕事も制限されることわかっていた。そのシンドサは予想していたし、「仕方ない」と割り切れる部分でもあった。でも、

話す相手がいないシンドサは予想外

だった。

この当時のことを、以前、子育てセミナーで講演した時に、こう言ったことがあった。

「自分の子どもが、
自分の中の暗黒面を引き出す映画『スター・ウォーズ』に出てくる
シス郷のように思えた」

このことに関して、会場の多くの女性達から、「私もそう思う時があった」と共感をもらった時に、「みんなギリギリなんやなぁ」と思った。涙ながらに訴えるママもいた。ギリギリなことを、なかなか公に発信できず、抱え込んでさらにギリギリに追い込まれていく。「子育ては楽しい!」というメッセージは大切だ。だけど「楽しい!」だけが強調されると、しんどい時の逃げ道がなくなる。やっぱり苦楽両面あるのが、ホンマの子育てだと思う。その両方共がバランス良く紹介されて、はじめて「楽しめる」子育てになるような気がする。

僕の子育てブルーは、まだまだ続くのであった。

育児ブルー 4

この情緒不安定の期間、僕は溜まり溜まった諸々の感情を、話を聞いてくれるある女性に度々ぶちまけた。加奈子よりも5歳年上の男の子がいたその人は、「ウチの少し前の話やわ」と言いながら、「うんうん。あったあった」と頷きながら聞いてくれた。「その時期の子どもって、こんなことせぇへん?」という問いかけもピッタリ当たっていて、「そうそう、まさに今、加奈子がそんな感じやわ」と共感した。

多忙でゆっくり話できない和子さん以外に、「僕のことをわかってくれてる!」という人の存在は大きかった。その人に話を聞いてもらったり、「ウチでこんなことがあった」というメールを送った返信がくるうちに、もともと不安定だったせいもあり、僕はこの人への依存心が芽生えていた。ものすごく長いメールを送ったにもかかわらず、ガッチリ答えて返ってくるメールに、「頼れる!わかってくれる!」と引き込まれた。そうなると、ますます現実の子育て生活がシンドク思えてくるようにもなり、実は悪循環。僕は、依存と同時に現実逃避をしていた。加奈子のいない時間に逃げていた。

子どもを車に置き去りにしてパチンコする親がいたり、自分ではなにもできない子どもを家に置いて夜遊びに出る親がいる。そんなことは僕にはできなかったが、もしも児童虐待などの情報が少なかったり、周囲の環境が違っていれば、僕もそういうことをする親の一人だったかもしれない。逃げ出したくなる気持ちがよくわかった。僕は、親から一度も叩かれたことがないおかげか、僕自身も子どもを叩く行動選択がない。その反面、子どもを放ったらかしたい衝動に駆られることは幾度かあった。泣き続ける加奈子を眺めながら、ボーッと見ていたこともあった。そんなギリギリのところで、溜まった話を聞いてもらえてホッとしたと思ったら、今度は現実逃避。とにかくあの頃の僕は自暴自棄で迷走していた。

依存と現実逃避の先になり、約1年と数ヶ月の間を支えてもらったその女性から、ある日「これ以上の関係は危険」と言われ、それ以降、会うことはなくなったしメールの行き来もなくなった。しばらく心に穴が開いたような気持ちになったが、それでも毎日がバタバタと回っているうちに、いつのまにか依存症は治っていた。ちょうど、加奈子が毎日保育園に通い慣れてきて、自分で「これがしたい」「先生とこんなことした」などの話ができるようになり始め、育児ストレスがかなり解消してきた時期でもあった。

本当は、夫婦でゆっくり時間がとれれば、それに越したことはないが、夫婦が話すのはたいてい家になる。家には子どももいる。子どもが間に入ると、どうしてもゆっくり話をする機会は減る。子どもが寝た後の時間に話そうと思っても、どちらかが疲れて子どもと一緒に寝てしまうというのが多くなる。

例えば、こんな感じだった。帰ってきた和子さんに、「ちょっと加奈子見といて!」という間にご飯を作り、僕がご飯を食べさせている間に和子さんがメールや新聞や残務をチェックする。和子さんが加奈子をお風呂に入れている間に僕が食後の片付けをして、加奈子が出てきて身体を拭いてパジャマを着せて寝る前の準備をしている間に和子さんが髪を洗う。出てきた和子さんが加奈子を連れてベッドへ行き、そのまま二人は熟睡。

「バトンタッチ夫婦」

は、核家族では当たり前になる。だから、夫婦以外にも話のできる友人の存在はとっても大きなものだ。

僕の場合、子育てのことも含めて話ができる相手が、ほとんどの場合女性になってしまう。「異性だから…」と気にしていたら、話し相手は誰もいなくなる。僕が気にしなくても、相手が気にしてしまえば、これまた話し相手になれない。この点は、男の子育てならではの難しさだと思う。

同じように、女性同士でも難しいと思う。いくら大人同士の都合が良くても、子どもがいればなかなか上手く時間は合わない。子どもを連れたお母さんが、公園で子どもを見るのではなく、携帯電話に見入っていたりメールを打っている姿を見かけることがある。「子どもを放ったらかして何してる!」という見方もあるかもしれないが、そのお母さんはすがるような思いで、メール相手と「なにか繋がっていたい」「誰かに聞いて欲しい」ともがいているのかもしれない。

子育て時期は、どうしても孤独になる。とくに核家族が増えた現代は、すぐそこに孤独がある。公園デビューを無事にして、ママ友達が居ても、なかなか深刻な話を共有できる関係にはなりにくい。みんなそれぞれにシンドイ思いをしているし、シンドイ話は口にする時に、もう一度シンドイことを思い出さないといけないし、自分が虐待スレスレという話を、共感して支持的に受けとめてもらえるだけの人は、なかなかいない。「ダメじゃない!」という返事が予想できる相手には、本当のコトが言えない。

「なにかあれば相談して下さい」というメッセージはあちこちから出ているが、「ホンマに受けとめてくれるのか?」と思ったり、そもそも「相談に行けるくらい元気があれば大丈夫なんとちゃう?」という疑問ももっていた。福祉事務所には、何度も「どこか保育園の空きはありませんか?」と問い合わせに出掛けた。とりあえず、加奈子と離れる時間が欲しかった。

シンドかった時期、僕はその人以外にも、本当にいろんな人と会ったり電話で話を聞いてもらった。聞いてもらうことで、育児ストレスが落ち着くことがわかったので、今でも、そういう時間をたまに作っている。とにかく、大人だけで話ができ、子どもに遮られず落ち着いて話しのできる時間が、どれだけ大切かがよくわかった。「子どもを放ったらかして、なにやってる!」という人の大半は、子どもと一対一で長時間過ごした経験がないのだと思う。その経験があれば、子ども抜きの時間が、逆に、もっと子どもに安定して接せられることも理解できると思う。

仕事をしながら子育てすることに対して、「どれも中途半端になる」「子どもが可哀想」と言う意見があるが、先に書いたような理由から、僕はそう思わない。価値とは相対的なものだ。

離れる時間があればこそ、
その存在の愛おしさや大きさに気付けるものだ。


バランスが大切なのであって、専念してしまうことで見えなくなったり失ったりするものは相当大きい。

今でも、たまに季節の変わり目や仕事が上手く進まないことがあったりして、加奈子にキツク当たる時期がある。そんな時は、保育園時代にお迎え時間が近かったママ友が勤めるスーパーに行き、チョロッと「元気?」「最近どぉ?」と立ち話する。ほんの少し声掛け合う程度で、スッと落ち着けるようになった。加奈子が自分で自分のことがかなりできるようになったので、義父母宅に預けるのも楽になった。たまに、教え子達や友達とご飯を食べに行ったり飲みに出掛けたりして気分転換している。

加奈子が年少組に入って以降、少し落ち着いてきたが、それでも毎年どこかで加奈子は「困ったちゃん」になった。年長組の秋には、「保育園に行きたくない」と突然言い出し、何日も毎朝玄関で泣き続けたりすることもあって、久しぶりに僕も弱り果てた。それでも、あの時の育児ストレスに比べれば、楽だった。夕方になるとケロッとして帰ってくる加奈子と、毎晩、晩ご飯を一緒に作って「美味しいね!」と一緒に食べて、一緒に片付けているうちに、いつの間にか毎朝の泣き虫は無くなっていった。

今では、あのシンドかった時期も、ひとつの思い出になった。また、シンドい時期が来ると思うけど、またその時はその時で、もがいたり落ち込んだりしながら、子どもとの時間を過ごしていくのだと思う。

今でも、たまに保育園時代のママ友達と会って、一緒にランチしたりする。その保育園でもいろんな出来事があった。とりあえず「育児ブルー」はここで一段落。
プロフィール
主夫生活の傍ら、「スーパー主夫」「プロ主夫」として講演や執筆活動をしている山田亮のブログです

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